実験から解るひととのかかわり方

人と人は共鳴しあうということを、とある水を使った実験で説いている人がいた。街を歩いていれば一日で何人もの人間とすれ違うが、その中から誰か自分と織が合う人間がいないものかと探し友人を作りそして恋人を作るが、一体それはどうやって選んでいるかなんてことをいちいち考えながら人との関係性を持続している人はいるだろうか。

共鳴するとは相手に共感を覚えるだけ絵ではなくそれを自分の中にもとりいれようとすること。これは意識的になされる時もあれば無意識のなかでそうされている時もある。話はもどして水を使った実験・・・とても綺麗な水をコップに一杯。綺麗な水はきれいな結晶を作り出す。そして汚い水をもう一つのコップに一杯よりも気持ち少なめに。汚い水は結晶もまちまちでとても綺麗とは言い難いものになる。その汚い水を綺麗な水の入ったコップの横に一カ月置いておく。すると汚い水は綺麗な水のそばに置いているだけでどんどん綺麗になることが解る。それが結晶の形だ。

出会いによってかわるもの

つまりこの実験で伝えたかったことは水は共鳴しあい、良い方へと変化していく。勿論これは綺麗な水の方が汚い水の量よりも多かったことが大きく影響していることがわかるが、人間でたとえてみたらどうだろう。例えばとても心がピュアな人間に、心が汚い人間と出会い何日も同じ時間をすごしたとする。

すると人間の7割は水でできているのだから共鳴することができるんじゃないかと。もちろん水の実験とはちがって意図的に水の量を調整することはできないが水をもっている人間ももちろんいい人間といればどんどん浄化されていくのではないのかと言う事を実験の結果とともにフィロソフィーな説明をしたかったのだ。

男性と女性にはさまれているもの

人間同士の話だがもちろん男女との事でも言えるのだ。簡単に言ってしまえば飛んでもなくド派手なギャルはとんでもなく派手なギャル男に惹かれるというのは互いが共鳴しているのではなく同じ境遇と趣味と言ったいつでも変化させることができるものがたまたま同じだったことがお互い引き寄せあい、更にはそれが恋愛として形を変えていくという傾向も今の若者には考えられる。心からはじまるだけが恋愛じゃないという事だ。

しかしもしもギャル男として長年貫いてきた人間が、とても綺麗な女性と出会ったら?更に女性が「ギャル男が嫌い、もっと普通な人がいい」なんてとんでもない発言をするとたちまちイメージチェンジをするのが簡単な話、共鳴と言ってもいいのではないだろうか。

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